読売新聞 記者

読売新聞 記者 中島千尋 早稲田大学卒 

 
 春に一般紙を落ちたとき、僕は東スポでいいやと思っていました。僕の書く文章が気に入られたのだろうし、紙面の内容としても決して嫌いではないから、東スポでいろいろやって将来に生かそうと思っていました。しかし同時に、どこか腑に落ちない気持ちがありました。それは東スポに内定するまで思っていた「たぶんあまり得意ではない場所で力をつけること」を投げ出したことでした。東スポが向いていて一般紙が向いていない、というのは、あくまで僕の想像でしかありません。しかし先生の仰るように僕の文章はゴシップ向きだという自覚もありました。それに、得意な場所で伸び伸びとやっていく経験が僕にはないので、そういうのもいいかもしれないと思いました。

 でもなんか悔しい。それならば秋までがんばって一般紙に認められてから東スポに行こうと決意しました。だから秋クラスのメンバーたちの門を狭めるようなことをしている申し訳なさもずっとつきまとっていました。秋までに一般紙に認めてもらえるような実力をつけることの葛藤がありました。

 必死になってやっていた分、どこかで気晴らしを求めていました。新聞を読むのが嫌で嫌で、特に6月から8月の3ヶ月間は東スポしか読みませんでした。東スポの役割がわかったような気がした期間でした。しかし東スポだけでは時代の流れに全くついていけなくなることにも気づきました。東スポで生きる僕の将来が少し不安になりました。

 というような気持ちを整理して秋採用に臨んだ結果、一般紙から内定をいただくことができました。インターンで支局長やデスクに春から秋にかけて考えたこと、一般紙でやっていく不安や僕の至らない部分を半ば酔った勢いで正直に話したら熱心に耳を傾けてくれたこと、最終面接でなぜか「このタイトルじゃなかったら、こんなにうまく書けなかったね。でも、君には文章の才能がありそうだ」と褒められたことを考えて、僕はここでがんばっていこうと決意しました。努力すれば苦手かもしれない場所で認められるんだと実感しました。

 僕はCTAに通うまで、世の中は認める人が認めるだけのものだと思っていました。自分の進みたい道にとことん進み続ける姿だけが、自分を理解してくれる人の共感を集めるものだと思っていました。しかし先生は違いました。誰にでも社交的に振舞うことができて、それでいて自分の生きる道を進み続け、本当に先生のことを理解する人に出会えているのではないかと思いました。勝手にそう思っているだけなので、違っていたら申し訳ありません。しかし僕には衝撃的でした。先生のような生き方が可能なんだ、と初めて知りました。僕も先生のように生きたいと思いました。なぜなら、それがもっとも「記者」という仕事に求められるものだと思うからです。いや、記者でなくても、僕自身がそういう生き方をしたいのです。先生にもっとも教わったことは「見せ方」の大切さだったのかもしれません。

 だから、そんな先生に認めてもらえるような文章を書けるようになりたい、と秋クラスではがんばっていました。内定をいただいた今でも、まだその実力がついたとは思いませんし、そもそも僕に文章力があると思ったことも一度もありません。正直あと1年ぐらいは先生に見てもらいたいと思っています。それにあと2年ぐらいは先生と話して、いろいろと学びたいとも思っています。年数は、あくまで目安です。しかしそういうわけにも行かないので、これからは紙面で先生にいつか認めてもらえるようにがんばっていこうと思います。とにかく先生にお会いできて本当によかったです。何度感謝しても足りません。

 マスコミに内定したいと通い始めたCTAは、いつの間にか内定のことなんかよりも自分の生き方を真剣に考える場所になっていました。先生の考え方を吸収し、僕の考えていることを先生に見てもらう。この活動が本当に楽しかったです。秋までモチベーションが下がらなかったのは、目先の内定にこだわらず、先生との対話を楽しんでいたからでした。CTAの仲間たちといろいろと考えていくことも楽しかったです。内定することが目的ではなくなった大切な場所だからこそ、内定しただけで離れることになるのは悔やまれるというか、もう少しCTAで学んでいたいという気持ちでいっぱいです。

 なんだかお伝えしたいことがうまくまとまらなくて悔しいのですが、口頭でお伝えするよりも思っていることが書けていると思うのでご容赦ください。とにもかくにも、これからはCTAの卒業生として活躍できたら、と思います。先生のメッセージは言葉以上に理解できているつもりですので、それを胸に刻んでとにかくがんばっていこうと思います。今まで約1年間、本当にありがとうございました。